人には誰にも幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期といった年代がある。主はそれぞれの年代にふさわしく恵みと試練とを与えて、成熟した人間に成長するよう育てて下さる。だから人生は充実して楽しい。本書は、著者自身の各年代に主が関わって成して下さった実生活での事件の証詞である。証詞というよりもそれぞれの体験をとおしての聖書の御言葉の学びと言ってよい。
著者には、経済的困窮の少年時代、学習と技術開発へ没頭の青年時代、管理・経営に工夫をこらした壮年時代があった。続いて今、価値観を全く転換して神に献げることに専心する熟年時代を迎えている。これらの各年代に起こってくる諸問題を信仰によってどのように切り抜け、解決していったかを明解に示している。そこでは御言葉と実体験とが密接に結びついているので、読者の生活への御言葉適用が味わい深く学べる。また聖書に基づいた第一線で奮戦するビジネスマン兼教会人の創意と知恵の実例を学ぶことができる。
人は試練をもって鍛えられるからこそ、世に対して鋼(はがね)のように堅固でありながら柔軟であり、御国に対しては水晶のように透き徹った望みに輝く魂を持つ者となれる。人生という道場が御国で天の父に仕える魂を養うための鍛錬の場であるとするならば、全生涯が苦難の多い訓練期間であったとしても、長過ぎるということはない。
著者の生涯を顧みるならば、それは困苦、悲痛、患難の連続であった。それでも主が共にいて下さったゆえに、充実した楽しみと喜びがあり、満たされた生涯であった。
弛(たゆ)まず努力し続ける者にとっては成功に晴雨なく、達成に運・不運はない。暗雲が襲いかかり、嵐が吹きすさんでも、信じて奮闘し続ける者には、道は必ず開かれる。これが人に備えられた神の真理である。