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徒歩で中国へ−古代アジアの伝道記録―

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徒歩で中国へ

−古代アジアの伝道記録―

1300年前に中国に福音を伝えた宣教者たちに本書を献げる。
「彼らは徒歩で、杖を持ち、革のサンダルを履き、背中の籠には聖書と十字架を入れて旅をした。深い河を渡り、高い山を踏みわたって何千マイルも旅をし、出会った数々の民族にキリストの福音を伝えた……。」
ある古代の書より

並製B6判/226頁/ 著者:ジョン・M・L・ヤング 翻訳:後藤牧人 監修:川口一彦
定価1,890円(本体1,800円+税)
ISBN978-4-903748-37-5 C0016 Y1800E

 


 

著者はしがき

古代アジアで熱烈な宣教を行い、1300年間にわたって存在を続けたキリスト教会があった。一度この教会のことを知れば、もう誰もその存在を無視できない。この小書の目的は、偉大なこの宣教運動に焦点を合わせることである。2世紀から14世紀に至る、1300年間のこの教会の歴史をすべて述べることはできないため、本書は主として最後の800年間のことがらを扱うことにした。

この教会の歴史資料は広い地域に分散している。それは世界の半分ほどにも及び、記述はいくつもの言語に及ぶ。それゆえ、この教会の宣教の歴史の一般的な紹介書は皆無というのが現状である。

キリストの王国の福音は、古代世界においてはアジアの民衆に対しても宣べ伝えられた。当時のアジアと言えば、世界でも人口が一番多い地域であり、文化的にも世界で最も進んだ地域だった。

この教会の宣教について、今日の西欧のクリスチャンのほとんどが無知のままである。彼らの宣教の中でアジアの文化との対決がどのように行われたのか、その推移と経過がどのようだったかについて、一般には何も知られていない。

中世の暗黒時代には、ローマ・カトリック教会がいわば聖霊に成り代わっていて、福音は隠されていた。その間、福音的キリスト教はどこかに存在していたのだろうか。そのように質問されると、普通は誰も答えられない。
福音信仰を持っていた集団を探すと、スコットランドにあったアイオナ共同体や、またイタリア・アルプス山中のワルドー派クリスチャンを挙げることはできるが、両者ともに少数のグループにすぎない。
暗黒時代に福音はどこにあったか、という質問には素晴らしい回答がある。本書は、そのことに光を投げかけようとするものである。

古代世界において、実は中東と西アジアのキリスト教会は、大規模なアジア宣教を実行していた。そのことは、今日のキリスト教会においてもっと語られ、強調されなければならない。
この時アンテオケから北京にかけての献身的な伝道が行われ、宣教者たちは1万キロの道のりを徒歩で旅して福音を伝えた。それを通して古代から中世にかけての長い時代に、東経30度から130度に至る地域において、多数のクリスチャンの群れが生じ活動した。
本書にある、この教会の東方への伝道事業の細部、またそれらの分析は、今日の世界伝道を志す我々への励ましであり教訓である。同時に、大きな警告がその中にあるのも事実である。
異文化宣教を考える時、誰もが遭遇する危険と落とし穴がある。それは、相手の社会に以下のことを徹底させるのが難しいということである。
・生まれながらの人間の霊的死の状態の認識。
・心よりの悔い改めとバプテスマの意味。
・外面的な敬虔の行為が内面的な潔さを示さない事。
・義認の信仰とまた主との一体化の重要性。儀式と形式ではない。
また、そのために宣教に、生じやすいのは……
・世俗主義との妥協
・周囲の宗教習慣や礼典との妥協
・時の政治権力との一体化 ・エリート層に関心を向けるあまり庶民を忘れること
などの傾向である。

異文化社会に言葉と善行をもって福音を伝えようとし、キリストの愛と救いを理解してもらおうとする時、重要なことは福音の意味と福音の独自さを失わずに、しかも福音の文脈化を行うということであろう。
文脈化した宣教とは、伝道者が言語と文化の障壁を乗り越えて福音を伝えるにあたり、相手がその伝道者の言っている福音を理解し、そこから進んで新約聖書にあるキリストの贖いの愛と憐れみを真に把握し、心よりキリストに己を委ねるところまで行かなくてはならない。
これらのすべてが完結してこそ、文脈化宣教が起こったと言えるのである。

古代の中東・西アジア教会の福音宣教は、上に挙げたような欠陥を含んでいた。長期にわたって繁栄した教会だったが、今は滅んでしまい、その影すらない。かつてそのような教会があったという記憶すら拭い去られてしまっているのである。そこに活発な福音宣教があったことを我らに教えるものは、ただ墓石に彫刻された本人たちの生前の生活の証しでしかない。
そのような過去よりの声の一つとして、次に挙げる9世紀のある墓石に刻まれた言葉がある。中央アジアのある墓石は次のように言う。「パサクの墓・我らの贖い主イエスが彼の生涯の目標であった……」。

歴史の教訓から学ぶのは重要である。そうしなければ、ある賢者の言葉のごとく「過去から学ばない者は、同じ過ちを繰り返す」のであるから。



目次


著者はしがき
本論に入る前に
訳者はしがき
年表

第一部 古代の中国宣教、その歴史
   第1章 初期
   第2章 中東・西アジア教会の本格的な独立
   第3章 唐代中国への福音伝道
   第4章 モンゴルのハーンのもとにおける  キリスト教伝道

第二部  ネストリウス論争
   第5章 ネストリウスとネストリウス主義
   第6章 ネストリウスのキリスト論

第三部  中国の古代キリスト教文書
   第7章 初期中国キリスト教の十二文書
   第8章 初期宣教文書に現れた神学的傾向
   第9章 景教伝道失敗の理由を探る

付記
写真及び図版解説
著者紹介
訳者紹介、監修者紹介