この著書を心から推薦いたします
ハレルヤ。主の御名を賛美致します。
このたび、イーグレープから出版された、吉岡潤吉兄の著書「わたしの福音書」を心から推薦させていただきます。吉岡兄とは親しいお交わりを頂き、時折り証しの文章を送ってくださり、その魅力的で、また福音的な文章に引き付けられて読ませて頂いて参りました。それらの証しが、このたび一冊の本になったわけで、伝道のために用いられる良い本だと心から喜んでおります。
吉岡兄の義父、ジークライト鉱業社長吉岡覚太郎兄は西田天香氏の「一灯園」に心酔され、それを会社の運営や地域社会に実践し、旧藩政時代の宿場町である板谷は一変しました。吉岡兄の尽力により小学校の諸設備は整えられ、診療所が建てられ、会社と町は一体となって発展して行ったのです。
一九四八年正月、ジークライトに勤めていた在原泉兄が一九歳で召天され、小松テイ、舟山きよ、両牧師の司式によって板谷で最初のキリスト教式葬儀が行われました。(従業員と家族の冠婚葬祭はすべて会社持ちで行われた)そのとき、クリスチャンだった吉岡文子姉(社長夫人)が「陸の孤島のような板谷で子供たちのために教会学校をしてください。」と要請され、板谷伝道が開始されました。 翌年には米沢教会の初穂である島津もり子姉がジークライトに就職し、彼女の行動を見守っていた酒井みな姉(文子夫人の母、金沢出身で熱心な仏教信者)が信仰に導かれました。彼女が召天された時、キリスト教葬儀が行われ、大人の集会が始まり、社長も信仰に導かれ、板谷駅前には伝道所が献堂され多くの子供たちや板谷の人々、従業員も信仰に導かれました。
吉岡社長夫妻は米沢教会で礼拝を守り、板谷の栗子ビレッジで夏季聖会も持たれました。一九七一年十月、吉岡兄が召天された時には、勲五等瑞宝章を授与され、米沢市からも功労賞が贈られました。夫人も一九七八年四月召天されましたが、吉岡家や酒井家の人々も信仰に導かれています。吉岡潤吉兄は浦和福音自由教会で坂野慧吉牧師に導かれて洗礼を受け、良き証し人として用いられ、またVIPクラブでも活躍しておられます。
米沢教会六六年の歴史は板谷伝道なくしては語れません。吉岡兄の本は一読して分かりますように平易で読みやすい本です。御教会の皆様にも推薦して頂き、伝道のために役立てて頂ければ幸いと存じます。キリスト兄弟団諸教会の牧師先生へ
二00二年一二月
キリスト兄弟団米沢教会牧師 加藤 昇