内容紹介
はじめに
『ルカの福音書3 味読・身読の手引き』三分冊の最後の出版を、4月の2冊目に続いて、このように実現でき感謝です。小さな著書の刊行でも、その実現のために、あの方この方の様々な場所、さらに私の知らない所での執り成しの祈りに支えられてのことと覚えます。
2006年3月、思いを越えた経過で、首里福音教会を退いた際、私たち夫婦の心に刻まれた聖書のことばの一つは、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」(Uテモテ四章2節)でした。その後の私たちのたどたどしい歩みは、主のことばへのそれなりの応答で、今回の小冊子も、福音宣教の一貫として用いられるよう心から願うのです。
一つ報告をいたします。今回、三分冊発刊を切っ掛けに、私なりに文体について思い巡らしたのです。
私よりも私をよく知っており、「困った時の水草頼み」と信頼している、小海キリスト教会の水草修二牧師が指摘されたのです。高校時代や日本クリスチャン・カレッジの学生の頃の文章に比較して、その後の私の文章が、次第にレジメ・要約の文体に変化してきたと。
1958年秋、カナダからのプライス、アメリカからのジーンズ両婦人宣教師が、寄居町で開拓伝道を開始する際、当時日本クリスチャン・カレッジの一年生であった私は、数人が集う群れの主日礼拝で説教を毎週担当するようになりました。ささやかな説教者の卵の誕生であり、この説教者として召されたとの自覚が、その後私の生涯を貫いています。
本書の表紙絵を今描いてくださっている富士見ヶ丘キリスト教会の雨宮牧師が、クラスメイトの私を、ご自身をキリスト信仰に導いた両宣教師に紹介したのです。
ジーンズ先生は昨年、プライス先生は今年、それぞれの母国アメリカのボストン近郊とカナダはトロント地域で静かに主のもとに召されました。両先生は、雨宮と宮村だけでなく何人もの若い日本人説教者たちのため何年も何年も祈り続けられたのです。最後の最後まで。
1967年10月、4年間のアメリカ留学から戻り、1962年4月に日本クリスチャン・カレッジ卒業と同時に就任した寄居キリスト福音教会牧師に復職した後、青梅へ移る1970年3月までの限られた期間、『月報』を毎月出し続けました。毎週の説教を中心とした説教牧会を目指す文章を書き続けました。
1970年4月から始まる青梅キリスト教会時代、念願の週刊・『礼拝の生活』の発行を始め、継続。礼拝と生活の分離・二本立てではなく、礼拝しつつの生活・生活のさなかでの礼拝と明白な意識を持ち提唱しながら。
さらに1986年4月、沖縄に移住してからは、首里福音教会で『首里福音』を、やはり週刊で。しかし新会堂建設など幾つかことが重なる中で、躁鬱を発症、ある時は、『首里福音』さえ休まざるを得ない事態もありました。しかし説教牧会者として一年一年と積み重ね、『首里福音』も基本的には継続できました。まさにUコリント一二章9節です。
2006年3月、首里福音教会から離れる修羅場を通過しながら、新しく『恵みから恵みを』を断続的に、ちょうど百号まで。
2009年2月脳梗塞発症が主な理由で、2011年5月、25年振りに関東に戻り、そこで『喜びカタツムリの便り』を月刊でしたが始めました。
以上のような、地域教会での説教と牧会の中で書き続ける営みと並行して、もう一つのささやかな歩みを重ねて来ました。
そうです。1969年4月、東京キリスト教短期大学で教壇に立って以来、何年も授業を継続。さらに1972年から日本(東京)キリスト神学校で神学教育に従事、また1978年から1986年4月まで、日本女子大で教壇に立ちました。
沖縄に移住後も、沖縄聖書神学校で神学教育に従事。
これら異なる場での授業の一切において、レジメ・要約を書き、学生方に手渡してきました。
このレジメ・要約について、東京基督教大学の大和昌平先生が、私の著作集の巻末エッセイとしてお書きくださった内容は、深い慰め励ましであり記念です。
クラス・スケジュールを書いた手書きの懐かしい文字に言及しながら、「宮村先生の講義は予定がしっかりと組まれていて、全体像がわかった上で毎回の講義を受けることのできる几帳面なものだった」(宮村武夫著作6『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ』、ヨベル、227頁)
と記しておられるのです。約40年、授業のためにレジメ・要約を書き続けている中で、それなりに定まってきた文体が、逆に、説教を中心にする、週ごとの牧会上の文章に影響を与えるようになっている事実を認めています。
埼玉寄居、東京青梅、沖縄首里で週ごとに書き続けてきた文章と授業のためのレジメ・要約が融合し、それなりに定まって現在の文体になってきたと判断します。
同じく著作集において、敬愛する松谷好明先生と永田竹司先生が書いてくださっている文章は、私にとり身に余る、しかし心に響くことばです。
松谷先生は、「宮村先生の文章は美文的、修辞的ものではなく、単純素朴でありつつ、不思議に力と気品に満ちている。一体これはどこから来るのか。……彼の多くの文章に触れると、それらの文章に溢れる香気のためであることが感得される。香ぐわしい香気は、若い時分に教えていただいた教師たちに対する宮村先生の深い尊敬と愛、そして御言葉を宣べ伝える相手である会衆、および神学を教える相手である若い学生たちに対する大きな期待と愛情から出ている。宮村先生の自らの恩師たちへの傾倒はほほえましいほど純粋であり、熱烈であり、永続的である。……教会員、会衆、学生、聴衆に対する無邪気なほどの愛と信頼は、彼らに対する大きな期待となって現われる」(宮村武夫著作5『神から人へ・人から神へ』5、6頁)とまでおしゃってくださっています。
さらに永田竹司先生は、「宮村論文はすべて極めて主体的な論述からなっている。すなわち、著者自ら、表現された言葉と内容とに深く関わっている。それは、読む人を変える語りである。また著者自身にとっても、自らが変えられる可能性に開かれた姿勢を貫いて書かれた論文である」(宮村武夫著作5『神から人へ・人から神へ』340頁)と記してくださっています。
1958年からの説教を中心とした文章と1969年から何年も歩みを重ねてきたレジメ・要約が統合した文体に、2009年12月脳梗塞を発症、左手が不自由になり、パソコンを打つのが、今までより一層ゆっくりになりました。ですから書くと言うより、彫刻刀で掘って行く感じに近くなっていることも、文体に影響を与えているに違いありません。
2014年4月から、クリスチャントゥデイ編集長として、教会での説教とも授業でのレジメ・要約とも違う文章を書いていく今後の歩みが、文体にどのような影響を及ぼすのか、まあ楽しみです。
目 次
はじめに
主がお入用なのです ルカ一九章28〜40節
その都のために泣く ルカ一九章41〜48節
それが礎の石 ルカ二〇章1〜18節
神のものは神に ルカ二〇章19〜26節
ダビデの子問答 ルカ二〇章41〜44節
律法学者とやもめ ルカ二〇章45〜二一章4節
忍耐によって ルカ二一章5〜19節
いつも油断せずに ルカ二一章20〜38節
準備をしに行きなさい ルカ二二章1〜13節
わたしを覚えて ルカ二二章14〜23節
しもべにして王 ルカ二二章24〜30節
しかし、わたしは……あなたのために祈りました ルカ二二章31〜34節
しかし、今は(T) ルカ二二章35〜38節
祈っていなさい ルカ二二章39〜46節
しかし、今は(U) ルカ二二章47〜53節
三度わたしを知らないと ルカ二二章54〜62節
わたしを愛しますか ヨハネ二一章15〜19節
一晩中 ルカ二二章63〜65節
しかし今から後 ルカ二二章66〜71節
ピラトはイエスに ルカ二三章1〜7節
イエスは、女たちのほうに向いて ルカ二三章27〜31節
わたしとともに ルカ二三章32〜43節
神殿の幕は真っ二つに ルカ二三章44〜49節
アリマタヤのヨセフ ルカ二三章50〜56節前半
生きている方 ルカ二三章56節後半〜二四章12節
心はうちに燃えていたではないか ルカ二四章13〜35節
あらゆる国の人々に宣べ伝え ルカ二四章44 〜49節
手を上げて祝福された ルカ二四章50〜53節
ルカの福音書を読み進めて ルカ一章1〜4節
著者について
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939 年東京生まれ。高校時代、キリスト信仰に導かれる。
日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。
現在、宇都宮キリスト集会牧師、クリスチャントゥデイ編集長、名護チャペル協力牧師。
住所 〒133-0051 東京都江戸川区北小岩2-8-8-402
E-mail miyamura@send.jp
BLOG http://d.hatena.ne.jp/kimiyom/
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、『愛の業としての説教 宮村武夫著作集1』(09 年)をはじめ現在まで著作集5 巻発刊(10・11・12・13 年)ヨベル社、『哀歌講解説教 哀歌をともに』クリスチャントゥデイ(13 年)、『ルカの福音書1 味読・身読の手引き』クリスチャントゥデイ(14 年)。