「本文」より
最後に
「一人一人の人生はその人の性格や家族背景、文化などによって様々に異なる」ということが私にも分かりました。それと同時に、あらゆる束縛から解放する真理を私たち一人一人に教えてくださる主のみことば・聖書の真理と原則がありました(ヨハネ八章三一節〜三二節)。あなたがこの本の中でお読みになった通り、私の家族を通して聖書の原則が表わされたように、その理解と希望をもって、あなたも主との日々の歩みの中で同じく励ましていただくことができるのです。
また、ある時、主イエスは「わたしは多くのクリスチャンが考えているより早く戻って来る」と私に言われました。このことに関して私が心に感じている祈りは、全てのイエス・キリストを信じる者が、自分の信仰は自分たちの罪を取り除くために十字架の上でキリストが成し遂げられたみわざによるのだということを確信することです。それだけが天国に至るただ一つの道なのです。
いつでもどこでも神の霊が導かれるままに、イエス・キリストの福音を宣べ伝える情熱の更に大いなる炎を、主があなたの心に熱く燃え立たせてくださるように。
まだクリスチャンでない方へ
私は今まで何人もの人が「私はクリスチャンになりたいんだけど、無理なんです。私は長男ですし、家族の位牌と仏壇を守らなければならない責任があるんです」と言うのを聞いてきました。
他の人は「結婚してから家の偶像を管理しなければならないので、とても束縛されている気がします」と言い、また他の人は「私は日本人ですし、しきたりに従わなければ困ったことになってしまいます」と言うでしょう。こうしたことに関して、私ははっきりさせておきたいのです。誰もあなたにクリスチャンになるよう強制することはできません。そして人類を創られた全能の神は、人に対してご自分のみ心を押しつけることはなさいません。
神にとって、私たちが自分自身で決断する者となり、人生という旅路を歩く中で神が与えてくださったその特権を使うことが一番大切なことなのです。イエス・キリストについて聖書が何を言っているか、そして何を言っていないかを見定める訓練をする特権を、私たちは持っています。
エレミヤ二九章一三節〜一四節に「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる」と書かれています。これこそ私がしてきたことで、私が捜し求めた時、聖霊が私を正しい道へと導いてくださいました。
私たちはみな、究極の真理と真実を捜し求めていくべきなのです。ですから私はあなたに自由を得させる真理を知ることができるよう、その探求に時間を割かれることをお勧めします。
目次
第一部
「未知なる世界への旅立ち」
第二部
「神の愛の管として」
第三部
「悔い改めによる癒し」
第四部
「全ては主の時にかなって美しく」
第五部
「癒しに働く霊的権威の力」
第六部
「宣教地における危機」
第七部
「個人的な癒しと回復」
第八部
「神の愛を知る者とされ」