推薦のことば
日本福音同盟理事長 ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会 主管牧師
峯野龍弘
本書は実に明白、かつ感動的にその尊厳と真意を再考、喚起、解明していてくれます。この意味において老若男女を問わず、今日一人でも多くの方々に本書を読んでいただき、人間の「生と死」の如何に輝かしく、尊いことであるかを知って頂けたら幸いです。
衆議院議員・牧師
土肥隆一
この本は単なる信仰の書ではない。信仰者も、そうでない人も、世界の第一線で活躍された鄭根謨先生が「偉大な科学者であるよりも、真実なクリスチャンでありたい」と、宣言された真意を汲み取っていただきたいと切に願う。
参議院議員
木俣 佳丈
本書にあるように、ハービー(鄭 根謨博士のご子息鎮厚-チヌ-)は、いつも前向きで、死に際しても、「泣かないでください。死は恐怖ではなく、神様の懐に帰るのです。私が死んだら、むしろ、祝福の祈りをしてください。天国に入学するのですから。」本当に、いつも前向きでくじけない人でした。
息子よ、ありがとう
「はじめに」より
「私が死んでも絶対に涙を流さないで、私のために祝福の祈りをしてください。私にとって、死は天国という学校に入学する時なのですから」
この人は死を覚悟したとき、静かにそう語った。
「いままで、私は自分のためにだけ生きてきました。これからは、隣人のために生きたいと思います」
この人はそう言った後、間もなく不慮の事故で亡くなった。
これは、死を真近にした人たちが投げかけた人生への貴重な金言だ。これらの言葉は、苦痛や悲しみすら人生の貴重な財産になりうることを教えてくれる。
愛する人を失う――。この過酷な喪失の痛みを通じて、私は、神の愛とその存在をさらに鮮明に悟ることができた。人生の荒波を越え、学問の海に遊泳すればするほど、神の存在とその玄妙な摂理はますます鮮やかになっていく。その事実に私は戦慄する。
航海中の船が難破の危機に会った時、老練な船長は貨物を海に投げ捨てて重量を軽くして速度を速める。船長は、一番重いもの、一番価値のないもの、なくてもいいものを迅速に選んで海に投げ捨てなければならない。それを船外投棄と呼ぶ。
船外投棄は人生にも必要だ。人間は、背負っていたものをおろすとき、心から幸福を感じる。私は何人かの死に接したが、彼らは皆平穏な姿で神の胸に抱かれた。迅速な船外投棄に成功したからだ。彼らは人生の重荷を投げ捨て、代わりに本当の真理であるイエス・キリストの手を握った人たちである。彼らの最後に接するたびに、この信仰の偉大さを痛感するのだった。
死を前にしたソクラテスの告白は、私たちを憂鬱にする。
「私は生涯、真理を探してさすらってきた。最高の真理を探しだすことができれば、死は恐れるものではない。しかし、結局私はなにも探しだせないまま、このように死んでいく」
一番多くのことを知っていると崇められた賢人でも、死を前にしてこのような告白をするほどだとすれば、凡人たちはいかほどであろうか。クリスチャンは「最高の真理」が何であるかをはっきりと知っている人を称える。人はどこから来て、なぜ生き、どこへ行くかを知っている人たちだ。
人生の重荷を負いながら苦しみつつ乗り越えた人は、次の聖句に大きな慰めを受けるのではないだろうか。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、私たちは知っている。」(ローマ人への手紙 八章二八節)
人生の苦しい経験も、ときには貴重な糧となり力となる。しかし私がそのことを悟るまでには、本当に多くの時間がかかった。
私の愛する息子鎮厚……。病弱なこの息子のことを心から感謝できるようになるまで、私はどんなに多くの涙を流したか知れない。どれほど多くの祈りを捧げたか知れない。
ある日、神は生きることに疲れはてた私の肩を軽く叩きながら言われた。
「愛する子よ。小さな十字架を背負って行くお前の息子に感謝しなさい」
ああ、本当にそうだった。鎮厚の苦痛という試練がなかったなら、私は祈らなかっただろう。イエス様を私の救い主キリストとして迎えなかったかもしれないのだ。
「試練にあったなら、神に祈りなさい」
この短い言葉を、この世のすべての人たちに聞かせてあげたい。神が選んでくださった者たちの大きな任務は、神から受けた愛を証することだからである。
本書を通じて、一人でも、イエス様をキリストとして迎えることができれば、私にとって望外の喜びである。
イエスのみ手の中で、鄭根謨