多くのキリスト者がこの世と調子を合わせ、神の願われる歩みとはかけ離れた、この世の歩みの中に埋没しているのではないかと思う。そのような歩みをしている方がいるなら、そのことを悔い改め、神が願われる歩みをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えられることを勧めたい多くのキリスト者がこの世と調子を合わせ、神の願われる歩みとはかけ離れた、この世の歩みの中に埋没しているのではないかと思う。そのような歩みをしている方がいるなら、そのことを悔い改め、神が願われる歩みをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えられることを勧めたい。
目次
T章 神の恩恵によって生かされた奇跡の命
U章 ビジネスマン36年の体験
V章 牧師という新しい道へ
W章 牧師の目から見た労働
X章 こんな時どうする Q&A 聖書的原則と私の体験
内容紹介
この本が、ビジネス生活の中で試練・苦難に遭っている方々、またビジネスマン生活で何らかの方向性を求めておられる方々、更にこれからビジネスマン生活を始められる方々にとって、何らかのお役に立つことができるなら望外の幸いである。 又この本のIV章一〜三節の一部は、著者の関西聖書学院における卒業論文から引用させていただいた。
レビュー
競争をどう考えればよいか 人が地上で生きていく限り、どんな所においても、大なり小なり競争がある。職場や学校においては勿論のこと、家庭においてさえ兄弟間における競争がある。従って私たちが競争を避けることは困難である。 何故、私たちは競争するのだろうか。それは人間には、ある目標に向かって上って行くという向上心が本来備わっているからである。向上心は、神が人に下さった様々な資源を最大限に生かそうとする志向であり、それを働かせること自体は、神が喜ばれることであり好ましいことである。この向上心の働かせ方が、自己の内で完結している場合には競争は起こらない。しかし、自己や自己に関する物事を、他者や他者に関する物事と比較して、より良い立場やより良い状況に置きたいと願い、向上心を他者との比較において働かせる時に競争が生じる。 競争には、良い面と悪い面の両方がある。良い面は、相手と競うことで向上心がより刺激され、より良い結果をもたらすことである。また悪い面は、競争という言葉が示す通り、相手と比較し競うことで、向上心が争いをもたらすように働くことである。それ故私たちは、競争の良い面を生かし、悪い面を殺すように努力することが肝要である。
著者について
一九四三年生まれ。下関西高等学校、国立九州工業大学を経て、 一九六七年 東京大学工学部大学院修士課程卒業、同年(株)小松製作所入社 一九七○年~七三年 米国ミネソタ州立大学工学部大学院に留学(会社派遣) 一九七三年 同上大学院にてPH ・D ・(工学博士)取得 米国ミネソタ州ミネアポリス市のバプテスト教会で妻とともに受洗 一九九八年(株)小松製作所 研究本部 首席技監(理事) 二○○三年 関西聖書学院通信教育受講、(株)小松製作所定年退職 二○○四年 関西聖書学院本科編入 二○○六年 関西聖書学院本科卒業、神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始 アガペーコミュニティチャーチ牧師