はじめに 宮村武夫
10回の連続講解説教は、もともと首里福音教会の講壇から語られたものです。
その首里福音教会の会堂は、無牧の中祈りが重ねられ、1987年6月20日に献堂されました。
1986年4月の宮村家族の着任に備えて、会堂建設の計画と協力依頼が教会外へ送付された際、最初の応答者として献金を送金して下さったのは、無教会の高橋三郎先生でした。
2006年4月以来、その首里福音教会の講壇から私は説教することができないばかりか、会堂を訪問することもできません。
そうした中で、このレジメが、石垣の八重山キリスト福音教会の最も困難な時に、数名の方々が主日礼拝を継続するため用いられたことは、小さくない慰めでした。
今回全く思いを越えた方法でお伝えできるのは、身に余る恵みです。
2006年3月に直面した修羅場は、福音宣教の機会を妨げられただけではない。1986年4月以降、首里福音教会を中心に語った宣教の記録が抹殺・消去される事態でした。
それゆえ語った宣教の内容を様々に記述するのは、私にとって義務・正しい努め、今回も、思いを越えてこのような方法での伝達、感謝。
俗に言うじゃありませんか、「捨てる神あれば拾う神あり」。
内容紹介
今回、なぜ哀歌を取り上げるのか、またどのような切り口から味わいたいのか、哀歌を実際に味わいつつ、少しずつ明らかになれば幸いです。 しかし今の時点でも、今日に生かされているキリスト者・教会として、私は何をどのように悲しみ、どのような哀歌を歌うのか、この課題を意識しながら、哀歌を読み進めたいとの願いは共有できます。そしてこの願いは、次の思いへとつながります。 「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから」(マタイ五4)と、主イエスは語られました。聖書が言う意味で悲しみ・哀しみを知らなければ、聖書の言う慰めも経験することができない。本当に喜びの福音を心に刻まれた者の心から、哀歌が歌われるのではないか
目 次
はじめに
ああ、人の群がっていたこの町は 哀歌一章1〜11節
私シオンの嘆願 哀歌一章12〜22節
ああ、主はシオンの娘を 哀歌二章1〜10節
私の目は涙でつぶれ 哀歌二章11〜22節
腎臓に射込まれた者 哀歌三章1〜18節
主のあわれみは尽きない 哀歌三章19〜40節
私たちの手をも心をも 哀歌三章41〜66節
シオンに火は燃え上がり 哀歌四章1〜22節
主よ、目を留めてください 哀歌五章1〜18節
私たちの日々を新しく 哀歌五章19〜22節
レビュー
[2]「ああ、人の群がっていたこの町は」(1~6節) 紀元前586年、強力なバビロン軍が、神の都と信じられていたエルサレムを包囲したのです。そればかりでなく城壁は破壊され、ついに陥落。神殿は汚され、その宝はバビロンヘ持ち運ばれ、その上、民の指導的な人々もバビロン捕囚へ(3節、「ユダは悩みと多くの労役のうちに捕らえ移された」)。この悲惨な現実から、哀歌の詩人は目をそらすことなく正面から深くとらえ、事態の根元に触れていきます。 (1)「この町」(エルサレム)の姿、エルサレム陥落を境に、それ以前と以後を鋭く対比させ、 陥落がいかにひどいものであるかを描きます。 1「人の群がっていたこの町」←→「ひとり寂しくすわっている」 2「国々の中で大いなる者」←→「やもめのよう」
著者について
宮村武夫(みやむら・たけお) 1939 年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。 主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書 注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。